日記と幸福量について(1)

日記を除いた生活において、日記書きが、日記を書いていない人に比べて幸せの量が少ない(不幸である)のは自明です。日記書きは生活の一部分(僕の場合は三割程度)を好き好んで日記に捧げているわけですから、その部分を取り除いてしまえば、幸せが量的に不足するのは当たり前の話で、これはどんな趣味に対してもいえることです。
ですから、問題はほかの趣味に比べて日記はどうなのか、雪の上を危険なスピードで滑り降りたり、様々な種類の美を鑑賞したり、魚をだまして捕まえてまた放してみたり、いろいろな場所で知り合いを増やしてみたり、サイバースペースで怪物を打ち倒したりすることに比べて、何がどう日記書きを特徴付けているのか、ということです。あいつがスキーをやっているのはスキーをやることによって承認を得ようとしているのだ、とはあまり思わない、のは何故なのか。
因みに僕は承認を得るために日記を書いているし、それを否定するのはかっこわるいと思うので、アンテナの数を気にしている、ということを必要以上に強調します。一部の人がなれあいうざいと言ったり、あえてコメント欄やTrackBackが機能しない環境にこだわるのは、相互の承認を餌に承認を得ることには意味がないと考えているからです。名無しさんからコテハンへ、匿名掲示板からBlogへ移行するのはどんどん承認がほしくなるからです。一生懸命書いたレスが「ワラタ」の一言ですまされるようではやってられません。
日記書きは、楽しみに占める承認の割合が極めて高い趣味であるように見えますが、これは本当でしょうか。そして承認に貪欲であることはほかの部分での承認不足を示しているのか、が考えどころです。続きません。なぜなら明日からここはドラクエ日記になるからです。ドラクエは一度もちゃんとプレイしたことがありません。唯一経験しているのはドラクエVのリメイク版ですが十時間で飽きました。初めてリアルタイムで熱中するはずのドラクエです。真のゲーム体験を得るために、事前情報は全く仕入れていません。今僕がドラクエVIIIに関して持っている知識は、空と大地と呪われた姫君が登場することだけで、実質的には、呪われた姫君が登場することしか知りません。空と大地は常にそこに在るからです。
今から友達にPS2を借りてきます。行ってきます。