良い世界について

良い世界はヤバい。良い世界について考え出すと何時間でもぼーっとしていられる。しかし、日記に書こうとするとどう書いて良いのかかわからない。日記を長く書けるようになる必要が有るのは、長く書かないと書けない種類の日記が在るからだ。とにかく僕は言葉を使って考えているんだからそれをメモするだけならどんな事だって書けるはずだ。それでもちゃんと書けた気がしたりそうでなかったりするのは何故なのか。
話が逸れた。まず良い世界について考えるための出発点を決めよう。良い世界、では余りに漠然としすぎているし、細かく考えると毎回そこで止まってしまう。良い世界はこの世界の延長線上にはないし、勿論僕に今与えられている情況とも無縁に決定されるものだ。基本的には、誰がどう考えてもコリャえいわ、という世界を想定したいのだが、それは難しい。どれだけ操作可能な条件を広げても、今居る何十億かの人だけでも納得させるのは不可能であるに違いない。ので、最低限、その良い世界で生まれた人はもう一度その世界を選択する、のを決まりにした。ちなみに、この、世界を選択する、というのが非常に謎な考え方であり、勿論世界に出る前に何かを決める事は出来ないし、そのなんか出てくる人とどこか繋がっている、のだったらそれを含むまた大きな枠があるわけだから、全く条件として意味不明だし不適切だ、という気もするのだけど、一般に、「今度生まれるときはもっと良い家の子に生まれたい」とか「日本に生まれてよかった」、というのは意味不明な、頭のおかしい発言ではないし、隣の家の子に生まれるのも、物理法則からして全く違う宇宙に生まれる、のも同じくらい完全に不可能だし意味が分からないので、そう言う事は考えてもいいことにした。後は、そうだなぁ、知識を制限するのは無しの方向で。無知故に幸せ、とか、なにかを信じてるから、とか。そういうの。理由は、嫌いだから。
とにかくそこから大体スタートする。この条件を満たすだけなら、いくらでも考えられる。特に理由は無いけど常に多幸感に満ち満ちている、とか、愛に満ちた世界で愛が最高に喜ばれる、とか。そういう喜びに根拠が無いと分かっていても特に問題は無いようだから、条件としては十分に思える。ここで終わっても良いかな、と思うし、これ以上のことは、僕が今までに経験した事とかを下敷きにしないと何も言えないだろう。と言うか、宗教、が僕は大嫌いなので、想像できないけど、例えば、こうやって適当に考える、場合でも、その教義に従って考えるのだったら、ここまでの条件でももう全然駄目かもしれない。今はそれが不思議に思えるが、違う国か、時代に生まれていたら、もっと変な考え方をしているだろう、という事態は想像できる、のでそれと同じように今考えた事も変すぎ、なのだろう、と思う。
つまり、いいですか。良い世界について考える、といっても結局、これはとても個人的なことで、僕がどういう事を必須の大切なものだと思っているような気がするか、をずらずらと並べる、手間のかかる性格診断CGIみたいにしか、発展しようの無い話題です。でも折角こうして皆でインターネットという場に集まっているんだから、たまにはパーソナルな事も話そうぜ! 性格診断テストや社会問題も良いけどね!