えりとさゆの恥ずかしさについて

僕がちゃんと見たのは「えりとさゆ」と「愛ちゃんと理沙ちゃん」だけですが、どちらも素晴らしく面白かった。高橋愛さんは普通に怖い……。新垣さんは超良い人。たとえ二人だけの人間関係でもそこにはパワーバランスが存在する、のを思い知らされた。
「えりとさゆ」は二回見たけどたまらなく恥ずかしく、特に第一回と第二回が凄い。お互いに、「顔が可愛い(から好き)」「心が広い(から好き)」「人の事をよく考えている(から好き)」「言葉をよく知っている(から好き)」などと観覧車の中で絶賛しあい照れまくるという内容でかなりキテる、こんなテレビ番組は他に見た事が無い……、と思いますが、それ以上に凄いのはこの二人の会話内容が仲の良い友達というよりはなにかもっと特別なものの様に見えた事で、これは二人の関係が、というよりも規定された話題から来るものだと思った。
つまり、どうも会話の内容については指示が出ているらしく、不自然に話題が移ろうのだが、最初の話題は二人が仲良くなったきっかけについて、次の話題はお互いの好きな点。こんな事は普通友人同士では話題にしない、お互いの好きな点などをもし話題にする事があるとすればそれはステディとの間でではないか、なぜならそこには唯一性が必要とされ、時間的な限度が存在するため、それらを話題にして確認する必要がある、から。と思ったが、友人とそんな話をする文化もあるけど僕が知らないだけかもしれません。想像ですがギャル男さんはそういう話をしそうです。