思いで日記について(時代から四世紀離れて生きる)

暇な時、ついうっかり日記を書いてしまい、後で見てみると内容は決まって昔の思い出について、か、日記自体について。僕の世界は閉じられ、時代から隔絶されてしまった…。ちゃんと今を生きていたいのに!
まぁでも、長い人生こんな時期もある、僕は諦めて追憶日記に耽りたいと思う。特に、楽しかったラオス旅行について書きたい。ラオス旅行は僕が自ら望んで赴いた唯一の旅であり、初めての自分探しでもあった。二週間に及ぶ旅*1を終えてわかった事は、ラオスには自分は無かった、という事である。その意味でこの探求はいまだその結末を迎えておらず、全ての終わりを迎えるまでその目的を果たせぬまま旅は続く…。ブルーハーツ(の詩を書いてる人?)がなくしたのは右手だけでしたが、市井の人々の些細な悩みまでが書き起こされ分類され提示される情報化社会の中で人々は自分の全てが先回りされているような錯覚に犯され自己を見失っている…。いるんです。本当です。
まぁそんな事はどうでも良いんですが、思いで日記を書かれている方はあまり見かけないです。これはやはり、あまりにも後ろ向きで印象が良くないという事でしょうか。日記はだらだら長い方が良い派で、特に他に書きたいことも無い、思い出日記を書くのは好きなんですが、どうにもあまり良ろしくないようです。そうでなければ、もっとはてなにも思いで日記がたくさんあって良いはずです。
それとも、あれでしょうか。自分語りを避けるのと同じ作用がそこにも働いているのかもしれません。自分大好き、自己顕示欲の塊、ウェブ上における公開精神リハビリ、そのような謗りを受けるくらいなら思い出日記なんて書くものか! という事でしょうか。でも思うんですけど、ああいうのとかあれとかも何か他の物を通して自分語りしているだけですよ、ですからそこはすっぱり割り切ってあからさまにやった方がすっきりしていて良いと思います。思いで日記一押しです。まぁでもそのように思えないからこのような事を書くわけです。

*1:短い