小さな幸せを探そう運動について

小さな幸せとは何か。頭が多幸感で一杯、幸せ!な瞬間を小さな幸せと呼びます。大きな幸せは幸福な人生とかそのようなものですが、これはちょっとどう探せば良いのか見当もつかないのでひとまず置いておき、それと区別するために小さな幸せと呼んでいます。小さな幸せを探そう運動はその小さな幸せを探す運動で、現在私一人によって強力に推進されています。小さな幸せを集める事によってもまた大きな幸せに近づけるのではないか、という大目的に添った運動です。探す、というのはより正確に言うと発見する、という事であり、獲得する、ゲットする、という意味ではありません。
また、小さな幸せもどんなものでも良いわけではなく、なるべく反復して体験可能であり、かつ、他人を巻き込まずに自分だけで完結できるものがより良いとされています。たとえば、大好きな人と一緒に過ごす、というのは例えその際の環境が最悪であったとしてもとても幸せな体験だと思いますが、これは相手(他人)のあることですし、経験上あまり持続、反復可能な体験であるとは言えない事から今回の探索目標としては除外されます。また、あまりにも入手や実行が困難であるものも除外します。一粒飲んだだけで幸せ一杯になれる錠剤などがあれば最高なのですが現在はそういうものを手に入れるのは困難な情勢なので除外です。
上記の条件により、小さな幸せとはより一般的には趣味と呼ばれるものであり、また趣味の中でも特に多くの人に親しまれているものほどより良い小さな幸せであるという事が明らかになりました。つまり、これは私の趣味探しという事で今までのは一体なんだったのか…という気分ですが続けます。
まぁでも趣味とちょっと違うなと思うのは趣味の中でも社会性の無いもの、つまりその趣味によって他の人に何か利益があるとか、他の人と比べてどうだとか、上達する事が楽しいとか、そういうものを除いて純粋にその行為自体が楽しい、というものを探したい。
今頭に浮かんでいるものは大きく分けて三つ有るんですが、先に書いておくと、擬似恋愛系、ギャンブル、その他、です。その他、には後で思い浮かんだものをまとめて入れる予定です。今のところ音楽を聞くことと体を動かす事はその他に入っています。
ちょっとこれは全体としてあまりにもあれなのであれかもしれない…。眠くなってきたし、思ったことをそのまま書いてみたいというのには割と沿った状態になっているけどそれに何の意味があるかはわからない。帰りの電車でいろいろ考えたので書き始めたけどその辺にたどり着く前に終わりました。実家から帰ってきてまだ覚えていたらまた考えるかもしれません。真剣二十代喋り場の様になってしまって申し訳ありません…。喋り場は見たこと無いのに失礼な話ですが、年越しの余韻で上手く眠りにつけなかったもので…。新幹線夜九時発だからそれまでには起きられそう。