俺は株券ではない

俺と株券の間には似ているところが少しもないので、どんなぼんくらがそこのところを混同してしまうかについては興味がある。強いて挙げるなら、薄いところ、電子化されつつあるところだろうか? とにかく、俺が株券ではないことについて、強く訴えておきたい……。もうご存じだったでしょうか!?……。
その他に、感覚について説明しようとしています。それは、ある事柄について、よく知っているし、関わったこともあるのに、実際にはきちんとイメージを掴み切れておらず、単純な事実を一つ二つ知らされただけでまるで印象が変わってしまうようなときに共通しておこる感覚です。そのような感覚について覚えがあるでしょうか? 俺はありませんが……。
実際にはもう少し条件を付け足すことによって、状況を限定しなければいけません。これらの条件は単なる付帯条件ではないのです。これらの条件が加わることによって、発生した驚きがその条件セットに固有のらしさをもつか、それらの驚きに共有される部分が特別に加わったか、というのが知りたいことなので、一番重要であるといえます。つまり、ここからが一番重要なのですが、単純な事実を一つ二つ知らされる以前から有していた知識は誤りではありません。その事柄の定義を述べよ、でなければ出来るだけ残虐なやり方でお前を証券化する、と脅されたら、仕方なく定義を述べますが、その定義は単純な事実を一つ二つ知らされる以前、以後で変わりありません。身近な人の意外な一面を知ってしまった、というような話をしているのではありません。注意して下さい。これは主に、人間が作り出した構造や、組織に関わる知識にまつわる感覚です。組織について、その設立目的を確認しただけで、実態を把握したような気になっていませんか? 俺はいませんが……。
つまり、具体的には次のようなケースで発生する感覚ではないかと考えています。俺の同級生が小学生だった頃、中学受験のストレスのせいで顔面の半分が麻痺した同級生がいましたが、彼は、その所為で耳鼻科へ通うことになりました。顔面が麻痺したので耳鼻科へ通う、というのは、耳や鼻が通常おとなしくも顔面に位置している以上、それほどの不思議ではないかもしれませんが、その耳鼻科へ通院する他の同級生の半分以上がその症状によってなのだと聞いたときには、さすがの彼も驚きを隠せませんでした。なんだって! と、心底驚いたということです。つまり、鼻がむずむずしたり、しないはずの音が聞こえるようになったというような人が耳鼻科へ通うものだと思い込んでいたのに、そうではなかったからです。
この時に覚えるような感覚、と共通する感覚がなにかをキーに存在しているはずであり、そのキーが先ほど説明したような条件なのではないか? ということを俺が睨んでいます。まだ、それがコントラヴァーシャルな議論として成立しうるか、ということを検討している段階に過ぎませんが、俺は実名でブログをしているのだからこれについて何々いわれる筋合いはありません……。