キッズ写真乱用防止五か年戦略について(2)

自分で言うのも何だが、「キッズ写真乱用防止五か年戦略」は本当に面白い。自分で言うのも何だが、と書いたが、「キッズ写真乱用防止五か年戦略」を書いたのは私ではない。もともとは首相官邸に住まう薬物乱用対策推進本部の方が書かれたものに、ある方が手を加え、更に私が若干修正を施して今の形になりました。だから、最初に見たときは全くの他人として読んだのですが、とても面白いと思った。具体的には

基本目標
第三次高価限定写真乱用期の到来に対し、その早期終息に向けて緊急に対策を講ずるとともに、全国的なキッズ写真乱用問題の解決にハロオタも積極的に貢献する。

ここで爆笑です。椅子落ちと言い換えても良い。私が面白いと思ったポイントをどう説明したらいいかわからないですが、ハロオタはこんな声明を出せるほど団結していない、また、積極的に貢献するといっているが完全に内部の問題ではないか、というところが面白い。突っ込みフォーマットで書くと「団結してるよ!」、「他人事かよ!」ということです。
いくらハロプロ系の記事ははてなブックマークに弱いと言っても即座にホットエントリー入りは確定だろう、と予想していたのですが、全然そんなことはおこらず、記事には申し訳ないことをしました。私の紹介の仕方が悪かったのだと思います。オモシロ記事へリンクするんだから真面目に書いた方が良いだろうと思ったのですが、なんだか意味のわからない文章になりました。きちんと説明しようという気はあります。
まず、社会(でも、ある特定の集団でも良いけど)全体の幸福を最大化するために、私が何かしょうもないことを我慢するのは納得できる。しかし、それはしょうもない事をすると制裁されたり、良心が痛んだりするから、だ。我慢するのが道徳的に善いことであったり、悪事がばれなくても死後に制裁されたりするからではない。そういう類の嘘はつく人とは絶交したい。これは常々自分に言い聞かせている。道徳嫌い、宗教嫌いの説明でした。
これを、未来の自分 = 他人 説に当てはめると以下のようになる。人生全体の(或いは漠然と未来の)幸福量を最大化するために、今の私が何かしょうもないことを我慢するのは納得できる。しかし、それはしょうもないことをすると今の私が将来を想像して不安になったり、自分として捉えられるほど近い未来の自分が何か制裁を受けるから、だ。将来のことを考えて行動するのが善いことだったり、価値ある自己実現に繋がる道だから、ではない。自己啓発嫌い、ライフハック嫌いの説明でした。
つまり、自分の直接的な利益を重視する(姿勢をみせる)のと、比較的に他者の利益に配慮する(姿勢を見せる)のにはどちらも利点があるのに、なぜか"他者の利益に配慮する"ほうにだけ嘘の価値が添付されてるのが気にくわない。同様に、今の自分の利益を重視するのと将来の自分の利益を重視するのにも双方利点があるのにもかかわらず、将来の利益を重視する方が偉い、立派な態度、という前提を置かれるのも嫌だ。ということだと思う。が、それはつまり、そういう嘘を流通させないと自分・今に重心が行きすぎるので、単にバランスの問題としてそうなのかも知れません。
そろそろ「キッズ写真乱用防止五か年戦略」が面白くなってると思うので読んで欲しいです。かなり長いですが私は通して五回くらい読みました。