消印有効について
今日中にどうしてもこなさなければならない用事があったのに、会社を出て家に着くと、もう21時を、余裕で、回っていたので私は途方に暮れました。部屋に入って、今がもう21時過ぎだという事実を知るの同時に肩をがっくりと落としたので、誰にとっても私が途方に暮れているのは明らかでした。今日のうちにこなさなければならない用事というのは、今日の消印が付いた封書を三通、指定された内容で指定された通りの場所へ向けて投函するというものです。だから、急を要するとはいっても、実際の所は二、三日猶予がある、先延ばししても許される、というような種類の用事ではありませんでした。そういう甘い、なぁなぁで済む世界の話ではないのです。今日のうちにポストへ投函できなければ、万が一にも今日の消印付きで郵送先に配達されることはありえず、その封書を郵送するために私がしたいくつかの準備も全て、確実に、無駄になってしまうのです。もし、投函が間に合わず、私が今から丁寧に作成する封書に明日の消印が無情にも刻印されてしまったら、それは目的地へ到着するなり受取人の手によってビリビリに引きちぎられ、今度は一直線にゴミ箱へと投函されるはずです。中身の確認さえしてもらえない可哀想な封書。その封書は指定された要件を満たしていない、誰にとっても文句無しの用無しのなのだから仕方ありません。
そして、最悪なことに今から最短の手順で最寄りのポストへ投函したとしても、到底今日の消印付きで郵送が行われるとは思えませんでした。郵便局の中にも業務を適切にこなすために最適化された複雑なプロセスがあって、その作業に熟練した郵便局員の手にかかってさえ、それぞれに相応の所要時間があるはずです。私の投函した封書が最も熟練した、腕利きの郵便局員によって処理されるという保証はなにもありません。投函された瞬間に消印が付くという魔法のような事態は期待しない方が良さそうです。私の想像では、今投函された封書は、日付が変わる瞬間になってもまだそこにそのままあって、それがいったい実際のところ、いつ投函されたのか、昨日か、今日なのか、についてはもう全くわからない、想像することすら出来ない、というような状態になっているはずです。それでは困るので、なんとしてでも、今日の消印を付けた状態で、それが無理ならそうしようと努力した形跡が見えるような状態で、配達されるようにする術はないものだろうか。私が、答えの見つからない泥沼のような思考をさまよっていると、いつもは一番落ち着く場所であるはずの自室までが、冷たく無駄に広く雑然とした空間であるように感じられました。六畳しかないはずなのに、どこまででも行けそうです。
まだ封書の準備すら出来ていないので、まずは宛名を書こうとしましたが、ペンが見つかりませんでした。ペンを
面倒になったので要点だけ書くと、郵便局の深夜窓口、いつも不在票をもって伺う窓口、で、今日の消印でお願いします、といえば大丈夫です。それを聞くと郵便局員さんは、まかせとけ、お手の物だ、というような感じの余裕の笑顔で封書を預かって奥へ消えていくはずです。封書にはもう切手が貼ってあるのでそこを立ち去っても良いものかどうか迷うと思いますが、多分立ち去っても大丈夫なはずです。僕はどうしたらいいのかわからなかったのでバカみたいに窓口の前に突っ立っていたら、事務所の奥の方で郵便局員さんが右手をアメリカ人みたいに挙げてニヤッとしていたので何事だ、と思ったらその右手には僕が渡した封書が握られており、それはもう消印押したから大丈夫だぜ、という意味を持つ仕草だったようでした。