俺とマチズモ
私としては「ピュア」よりも「マッチョ」、「マッチョイズム」、「マチズモ」辺りを強烈にプッシュしたいです。問題なのは、「ピュア」に比べて、「マチズモ」には色々な文脈で特別な意味をこめて使われてきたと言う経緯があるかもしれない(知らないけど)という事で、例えば石原慎太郎さんはよくマチズモという言葉を使うそうですが、恐らく彼が使うマチズモという言葉と、私が面白がって使っているマチズモの間には大きな隔たりがあると思いますが、特に気にしない事にします。私の言うマッチョとは以下の引用のようなものです。
なんていうか、自分の「好き」が、人に威張れる「小説」などに接続されていればもっと幸せなのかもしれない、とは思いますが、こういうのが、「マッチョ志向」なんでしょうか・・・・。でも、そういう意味では「小さくて可愛いもの」だってものすごい「マッチョ」だと思いますよ! 恥を感じず、それどころか誇らしげに自分の趣味を開陳できるじゃんすか。
私はマッチョ志向でありながらもなかなか筋肉がついていかないのでイライラしているんです。体質にもよるんですが、実際の筋肉は結構簡単に増えます。丁度一年程前からジムに通って筋トレをしてるんですが、一ヶ月くらいでも腕の形が変わりますし、今はぱっと見で結構がっしりしてきたと思います。多分。後腰痛もほとんど気にならなくなったので本当筋トレは凄い効果ですよ!!絶対やるべきです。週に二、三回、一度に30分くらいで十分ですが、高い負荷をかけないと余り意味が無いので、家でやるのは非現実的だと思います。
私は別にレスリングが強くなりたいとか、誰よりも遠くまで鉄塊を投げつけられるようになりたい等と言う理由で筋トレをしているのではなく、本当に純粋に筋肉を増やしたい、抜群のプロポーションを身につけたい!!と言う理由で日々トレーニングに励んでいるわけです。これは自覚してるし、全くおかしな事ではないです。
で、思うのが、私が好きだと思っているものも実際にはそれが好きな自分の方がマッチョである、良い状態であるような気がするので好きなような気がしているだけで、本当はプログラミングなんて嫌いなんじゃないのか?という事です。
私は中学生までは今で言う、ファンタジー系のライトノベルばかり読んでいたのですが、高校に入ってなにかそれが恥ずかしい、という気分になり、SF読みに転向しようと思ってSFを読むようになりました。「ニューロマンサー」はちゃんと日本語で書いてあるのにストーリーすら良く理解できず、結局三回読み直しました。あと、テレビを見るのはかっこ悪いような気がするので全く見てないです。映画を狂ったように見るのは逆にかっこいいと思いますが(除ハリウッド映画)、映画はほとんど見ません。というか、映像を見る、という機会が普段の生活には存在していません。映像は全く見ていないです。だから、実はテレビを見ないのもかっこ良いとか悪いとか言う、いかれた自意識過剰の産物ではなく、本当にテレビに興味が無いのかもしれないんですが、もうそこんとこの区別が全くつかなくなってきているのが今の悩みです。ゲームを全くやらなくなったのも、単に暇な時間が減ったからなのか、ゲームをやるのがマッチョじゃないような気がしているからなのか、全然分かりません。
哲学とか現代思想とかを研究者でもないのにやたら全般的に詳しい人、詩や小鳥をこよなく愛する少女、のような極端な例でなく、あらゆる趣味全般について、それは本当に面白いと思ってるのだろうか、というような事を良く思うのですが、このような事ばかり考えているから何をやっても長続きしない、つまり、そんな事は全く考える必要が無いだけでなく有害であり、人生で成功を掴む人はそんな事気にもしないんだよ!!という事を思いました。
自分がなにかに偏っている事に理由を求めようとする、という事が変だ。
なんか、ここまで書いてきて全くマッチョ、マチズモという言葉を使っていないので驚きました。何のために書き始めたのだか分かりません。