大塚英志の「物語の体操」

が文庫になっていたので今読み進めている途中で、多分今日中に読み終わるに違いない。というところ辺りまで来たのだけど、どうやらまた小説家になれそうな気がしてきた。「キャラクター小説の作り方」よりも実践的に、物語を作るためのトレーニング法について解説しているから、TRPGゲームマスターをする事にすら異常な壁を感じた僕でも物語が作れるようになるかもしれないという微かな希望が見えたような気がしたけど結局何もしないんだろうなぁ。この本の中で解説されているプロットカード法をWeb上で出来るようにした物ってのが結構あって、創作文芸板のこのスレッドに紹介されてる。
物語の体操」に構造化が出てくるんだが、どうもこれに似た話、というか同じ話を聞いた事がある、なんだろう、ああ、そうだ、筒井康隆の「文学部唯野教授」だ。文学部唯野教授は小説だけれども、大塚英志も小説家だ。小説家もプロだから実は皆、周りの作品を職業的な関心で持って分析しているんじゃないだろうか。売れる本が書ければいいとか、文学にしか関心ござらんわ、みたいな顔をしてる人でも実はすごく勉強していて、でもそれを表に出すのは恥ずかしいから特に発言せずに作品を書いているんじゃないのか。舞城王太郎は「九十九十九」の中で特に意味も無く東浩紀の「動物化するポストモダン」を登場させたり他の作家、ミステリ全体について言及したりしていたけれど、なんだか中途半端なのでどうせなら小説では無い形で書けばいいのに。でも九十九十九は凄い面白かった、その後勢いで阿修羅ガールも買ってすぐ読んだし*1九十九十九はとてもメタな構造になっていて、常に前章が作中作として定義されている。だからその登場人物が作品全体に無理なく言及出来る構造になっているのだけれど*2メタ的な点がメインではなくて無意味なセックスシーンとかグロとか意味不明なミステリ的見立てとか九十九十九の魂遍歴とかがぐちゃぐちゃに混ざっていてすっきりしないのだけど、それが気持ち良い。けど、やっぱりもっとクリアに書いてくれてもいいなぁと思ったので是非書いてください。
そういや、「ソフィーの世界」も同じようなネタで落ちてたなぁ、でもあっちはつまんなかった。少女趣味無いし。

*1:アイコは、我思う我ありってのが壊れてしまったそうでそれはすげぇよまじ

*2:いや、無理はあるか