情動の大きさを身体への影響(を抑えたこと)で表現する

「声出して笑いそうになった」という表現が興味深かった。なぜ、この人は声を出して笑わなかったのだろう、声を出せない、出しにくいような状況に置かれていたのだろうか? たとえば、誰かのお葬式であるとか?

「(何かが面白いので)笑いすぎて椅子から落ちた」、「(映画の結末が悲しかったので)涙が止まらなかった」というのは、自身が持った情動の大きさを身体への影響を通じて表現する馴染みの深い方法で、「笑いすぎて椅子から落ちそうになった」、「涙が止まらなくなりそうになった(実際には、なんとか止めることが出来た)」というのは、同等の面白さや悲しさを表現しつつ、それを抑えこんだ意志力もまた示すことのできるいい方法だと思います。椅子から落ちたら恥ずかしいし、涙が枯れたら大変なので。ですが、「声だして笑いそうになった」に関しては、どうだろう。なぜ声を出さなかったのかが状況から明らかでないかぎり、読者の意識は、声だして笑えばいいじゃん? の方へ行ってしまうのではないだろうか?

逆に、極小の影響すらもあえて抑えることでなにが表現できるかを検討してみる。「ツボって、息吐きそうになった」、「まゆ動きそうになった」「口角、上がりそうになった」。「悲しい気持ちになりそうになった」もはや、自分の気持すらもコントロール下においている。