揉め事サポーターを全員ぶっ倒してやりたい

私も若い頃は揉め事のコアサポ(コアサポーターの略)だったので、最近のように大きな揉め事が立て続けに起こったらとてもじっとはしていられなかっただろう。「どっちも頑張れ!」「負けるな、もじゃもじゃ!」「よしよくやった! 法学者の立場から言ってやったぞ! そこにはモラルの出る幕などねぇ!」などと快哉を叫んだろうし、週末には、あの揉め事は関係者全員が抜きん出た個性を持ち合わせた稀有な事案だったな、また後から参戦した彼はいつもどおりのポジション取りながら意表をつく見事な視点を披露したし、などと振り返りながら過ごしていたと思う。しかし、今や私は揉め事に肩入れすることも、若干引いた位置から観戦するようなことも、しなくなった、いや、しなくなってはいないが、楽しんでいる姿を表に出さないようになった。
なぜこんな楽しい趣味を捨てたのか。理由は語らないが、今もその趣味をもつ人達はいつか全員ぶっ倒してやりたいと思っている。実際のところ、ほとんどの揉め事に関して、切実にどちらかへ肩入れしたいというような事情は一切無いため、揉め事関係者の、主に姿勢に対し、この人ムカツク!! なんか致命的な矛盾を突かれて恥ずかしい目に合えばいいのに!! と思って揉め事を観戦していたわけだが、詰まるところ、"姿勢"に関していうなら、少なくとも揉め事中心部にいる人達は意見を述べ、反応に対しリアクションしているにもかかわらず、観戦者は全く必要ない応援の姿勢や、揶揄するような姿勢を見せておるだけであり、余程憎める。
つまり、私は揉め事を観戦するに当たり、同じような立場にある観戦者を一番憎らしく思っており、私は私を憎みたくないので観戦を大っぴらな趣味とすることは出来ない。憎らしい観戦者とはたとえば以下のような人である。「的外れのエントリ。この議論のポイントはそんなところにはない。本当の問題は別にある」 よく見かけるが見かけるたびに体の震えが収まらなくなる。揉め事の議論にポイントなんかないのであり、自分が気持ちよくなりたいだけの小物が偉ぶりやがって説明が難しいくらいイライラする……。せめて本当の問題が何であると愚かにも思い込んでるかくらい開陳しろ。いつかこいつら全員をぶっ飛ばすような素晴らしい論理を見つけたいものだ! そして私はお前らを全員ぶっ倒してやりたいと表明することによりただの観戦者ではなく揉め事当事者性を獲得してより正しい姿勢を身につけるのだ! これなら自分を応援できる!!